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岩手県陸前高田市に8月、新たな野球場が完成しました。震災発生以降、仮設グラウンドで試合をしてきた地元の子どもたちにとっては待望の野球場です。

 8月23日、陸前高田市で学童野球の市の予選が行われました。会場となったのは8日に正式オープンしたばかりの高田松原運動公園第一野球場です。震災の津波で甚大な被害を受けた海岸沿いに建設されました。

 愛称は「楽天イーグルス奇跡の一本松球場」。震災の津波に耐えて一本だけ残り、復興のシンボルとなった松にちなみました。収容人数およそ4500人、プロ野球の二軍戦にも対応する大きな球場です。

(市民)
「この辺の地区の人たちもけっこう野球は好きなのでね。前は大会も松原でやってあったから。みんな集まって楽しんでもらえればいいと思いますよ」
「節目の年という10年というキリのいい年にできたっていうのは本当に考えるものもありますけれども、本当にこれからの明るい兆しというかというところで嬉しく思っております」

 震災前はおよそ7万本の松が立ち並び、三陸海岸を代表する景勝地だった陸前高田市の高田松原。その一角にあったのが高田松原第一球場です。震災前もプロ野球の二軍戦や社会人野球の試合などが行われ多くの市民が訪れました。2010年4月からは球場の改修工事が行われました。

 しかし…。こけら落としを4日後に控えた3月11日。東日本大震災の津波によって周辺の景色は一変しました。海岸沿いにあった野球場は4機のナイター照明だけを残して水没し、全壊しました。
完成した野球場(岩手県陸前高田市)

震災前のように球場で野球が出来る幸せ


 高田松原の防潮堤工事が落ち着いた2017年、市は高田松原周辺に野球場やサッカー場などを含めた運動公園の再建に着手。そして震災発生から9年5か月近く経った今月8日、新しい野球場がオープンしました。

 震災後に野球を始めた子どもたちは、待望の地元の野球場で元気いっぱいのプレーを繰り広げました。スタンドから市民や保護者が試合を観戦するのも震災前以来の光景です。

 大会出場チームの1つ、米崎リトルスポーツ少年団です。大会前日、小学校の校庭で練習を行っていた米崎リトルの選手たち。チームを率いるのは20年以上前から指導にあたる大和田武也監督です。

(大和田監督)
「こういう広いグラウンドでやれるというのは嬉しいことですね」

 海岸からおよそ1.5キロのところに位置する米崎小学校。9年前のあの震災当日、米崎リトルの当時の選手たちは全員無事でしたが、練習場所だった校庭には震災直後から仮設住宅が立ち並びました。

 その後は近くの畑や空き地を整備して練習を行ってきた選手たち。おととしには十分とは言えない練習環境の中、全県大会の初優勝も果たしました。ようやく校庭で練習を再開できたのは優勝を決めた後、その年の秋でした。

(大和田監督)
「最悪の危機を見てるので、こういう立派な球場とか広いグラウンドでできるのが当たり前って思わないで、恵まれてるんだよって感じながら、あとは野球を楽しんでくれればいいのかなと」

 仮設のグラウンドではなく野球場で試合ができることに米崎リトルの選手たちは心躍らせています。

(山田旺輝主将)
「すごくきれいなのですごく行きやすいしいいです」
(大和田監督)
「ようやくここまで来たかなと。震災前以上の野球環境が整ったかなと思います」
球場には子供たちの元気な声が響いた

ここから新たな第一歩!


 市の予選大会では、待ち望んだ野球場で思い切りプレーした米崎リトルの選手たち。2年ぶりの全県制覇を目指し練習の成果をぶつけました。チームは予選の準決勝で敗れましたが、多くの保護者や市民が見守る中、全力でプレーを繰り広げました。


(山田旺輝主将)
「すごく緊張したんですけど精いっぱいできたので良かったです」

(佐々木瑛太選手)
「立派な球場だったので楽しかったです」

 スタンドには、一球一打に見入る幼い子どもたちの姿もー。

(大和田監督)
「保育園の子どもたちとかいっぱい来てくれて、この試合を見て野球を好きになってくれて、もっと野球人口が増えればいいなと思っています」

 子どもたちの元気な声が響いた「奇跡の一本松球場」。思い切り野球をできる環境がようやく被災地に整いました。
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