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岩手県宮古市と遠野市にまたがる国道340号「立丸峠」。改良工事を終え 11月末、新たな道が開通しました。長く交通の難所と言われた立丸峠。震災では内陸と被災地を結ぶ「命をつなぐ道」として大きな役割を果たしました。あの日、あの時。決死の覚悟で峠を越えた人々は今、どのような思いを抱いているのか取材しました。

完工式「立丸峠工区全線開通です、どうぞ」

 復興支援道路として整備された国道340号立丸峠。11月29日、6年の歳月をかけて約5.2キロが開通しました。宮古と遠野にまたがる峠を2本のトンネルで貫く道路の完成により災害時、そして復興へと大きな役割を果たすことが期待されています。

(遠野市・本田敏秋市長)
「沿岸と内陸の交流拠点としての遠野という場所ですから、宮古市長としっかり連携図りながら地域の経済活性化、産業振興観光振興、インバウンド、トンネル効果を活かしていきたい」
狭く急勾配が続く立丸峠 震災時には被災地と内陸を結ぶ数少ない道だった

震災当日、難所の峠を越えて


 急カーブと急こう配が続く立丸峠は、これまで長く交通の難所と言われました。しかし、東日本大震災では浸水域を通らず内陸部と沿岸被災地とをつなぐ数少ない道だったのです。

「そのときラジオしか情報が無くて大槌町と連絡が取れないとすっと言っていた」

 釜石市の佐々木励さんです。2011年3月11日。佐々木さんは大槌高校に勤める妻の安否を確認するため、釜石から遠野を経由して立丸峠と県道26号土坂峠を通って午後9時半ころ大槌に入りました。妻は無事でしたが、大槌高校には500人以上が避難し津波に加え寒さ、空腹と厳しい状況に追い込まれていました。佐々木さんは立丸峠を戻り遠野市役所に助けを求めました。

「あそこの道は皆思うと思う雪道はダメだなと。行ったことがある人間ならなおさら行かない方がよいと思う。ああいうところがトンネルで繋がるのであればすごく意義があるのかなと思います」

(大槌町環境整備課・遊田啓悦課長)
「どういうルートで来たのかは後から聞いたんですがまあ、よく来たなと」

 佐々木さんの訴えを聞き、大槌に届ける燃料と食料を集めたのは、当時、遠野市の管理情報課長を務めていた遊田啓悦さんです。遊田さんは今、大槌町の環境整備課長として復興に携わっています。その遊田さんが自身の経験を通して力を注いでいるのが、立丸峠から大槌町へと向かう土坂峠のトンネル化です。立丸峠と並ぶ難所、土坂峠の改良は大槌の住民の悲願です。

(大槌町環境整備課・遊田啓悦課長)
「下道一般道路というのをきちっと整備しておかないと災害時には効果が発揮されない。万全にしておくことが災害時に強力なバックアップになると思っています」
トンネル化で、沿岸部と内陸部がさらに強く結ばれる

命をつなぐ道路


 そして、震災直後この立丸峠を通って復旧支援に中心的な役割を果たしたのが地元・岩手の自衛隊です。

(陸上自衛隊岩手駐屯地・川村仁総務陸曹)
「町に近くなってから夕焼けみたく真っ赤になっていて空があれっと思ったら火災の影響でそういうふうになってると私も初めて見たのでびっくりしましたね」

 震災当日の夜遠野から立丸峠を越えて大槌町に向う自衛隊の車両を運転していた川村仁さん50歳です。あれから7年9ヶ月。当時を経験した部隊の隊員はいま川村さんただ一人です。

「ブラックバーンみたいな感じでいつ滑ってもおかしくない状態でおっかなびっくり運転していました。雪深いところなので除雪がうまくいかなくてさらに道幅が狭くなっていたのでいろいろなことを考えても道路整備は重要だと再認識しました」

 立丸峠を越えてつながった思いと支援。

「遠野市内のお母さんたちが握ってくれたおにぎりだったり、市役所で使っている灯油をこっちにトラックで運んでいただいたのが、一番印象が強いです」

 救援物資を受け取った大槌町職員、小笠原純一さんです。あのとき感じたありがたさを、今も忘れることはないと話します。

「慢性疾患をもっている方、例えば人工透析が必要であるとか避難弱者というのですかね、そういった人たちを逆に安全な移送すると、いういろんな意味で重要な道路ではなかったかなと思っています」

 復興支援道路として新たなスタートを切った立丸峠。この道にはこれからも「命をつなぐ道」としての歴史が刻まれていきます。
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