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震災の後、絵画サークルに入り絵を描き始めた岩手県釜石市の男性がいます。最愛の人が津波で行方不明になり、一時色を感じる心を失ったという男性。絵を描くようになって3年、その心は変化してきました。

 11月はじめに行われた「釜石市民芸術文化祭」です。ギャラリーに、夏の空を背景にして咲き誇るヒマワリの花の絵がありました。大胆な筆使いの中にある爽やかな空気感…。描いたのは釜石市の木村正明さん、62歳です。

「型にこだわっていた、2年くらい前までは。そこを越さないとダメ。緑もちょっと暖かみある色で」

 木村さんはいま、市内の絵画サークルに通って絵を学んでいます。講師はかつて職場の上司だった佐々木実さんです。実は木村さん、一度、佐々木さんに絵画サークルに誘われたものの、断っていました。

「先生が最初に私に絵を勧めたのは、震災の年でした。けれどもその時、私は絵を描く気持ちになれなかった。花を見ても、見えているんですけど感情が湧かない。色も感じない。だから先生に『今は描けない』と」
行方不明になった妻の記録 その本の挿絵が、木村さんの心を動かした

妻が好きだった花の挿絵に出会って


 津波で家が全壊した木村さんは、4年前に建てた新しい家にひとりで暮らしています。

「4年と2ヵ月、3ヵ月目」

 16年前に仕事で負ったケガが原因で、足が不自由です。木村さんが色を感じなくなったのは東日本大震災が起きたあの日から。


 最愛の妻・タカ子さんは事務職員として勤めていた鵜住居小学校で津波にさらわれ、行方不明になりました。

「かあちゃんは優しい厳しさをもった女性なんですよね」

 児童や職員が避難する中、なぜタカ子さんだけが学校に残ったのか?木村さんは仲間の協力のもと、学校や釜石市と15回に及ぶ話し合いを重ね、真相を突き止めようとしました。しかし、はっきりした理由はいまも分かりません。

 木村さんは話し合いの中で分かったことを後世に残そうと、おととし記録を本にまとめました。本をまとめる過程で挿絵として出会った一枚の絵が、木村さんの心を動かしました。

「この色を見たときに震災後初めて、『花ってきれいだな、このピンクってきれいだな』と思ったんですよ」

 「挿絵が欲しい」という木村さんの求めに、友人の母親が色鉛筆で描いてくれたのは、タカ子さんが大好きだったという秋海棠(しゅうかいどう)の花でした。

「この絵を見てから初めて、『私は絵で震災を忘れさせないという絵を描いていきたい』、そう思って絵を描き始めたんですよね」
絵画サークルでの木村正明さん 色彩だけでなく笑顔も取り戻した

失った「色」を取り戻す


 本格的に絵を描くのは初めてだった木村さんが、最初に描いたのは自分が大好きだった色、黄色と黄緑に彩られたヒマワリの絵。キャンバスいっぱいに色が溢れました。このとき震災発生から4年。失った色をようやく取り戻しました。

(絵画サークルの講師・佐々木実さん)「自然と色が教えてくれるような感じがしますね。色が形になっていくという。形に色を塗るんじゃなく色が形になっていくんじゃないか、そういう何かをもっている木村君だと思いますよ」

 色が形作る木村さんの絵の世界。今年、地域に伝わる言い伝えをもとに新たな作品づくりに取り組んでいます。

「いつの時期の津波か分からないんですが、『津波で石うすが峠を越えましたよ』と書いてあったんです。この言い伝えは残しておかなきゃダメかなと思って、津波を忘れないで欲しいという思いで、この絵を描きました」

 さらにこんな絵も…。

「津波が押し寄せた後に海の蛸(タコ)がそこの土地に残っていたとだから、本当は『蛸』という地名なはずなんですが、田の郷(田郷)という地区になっております」

 絵を描き始めて3年。色の感覚を取り戻した木村さんは、サークルの仲間たちと楽しく絵を描く中で、失いかけていた笑顔も取り戻しました。

 悲しみと悔しさに向き合う中で出会った一枚の絵から、色を感じる心を取り戻した木村さん。その色使いは日々深みを増しています。東日本大震災発生から7年8か月。いま描きたい絵とは…。

「描いた絵を見て、『あぁ、震災のことを描いてるんだな』というような感じの絵なのかな。そして、『それを見てほっとして笑ってほしいな』という思いの絵を描きたいと思っているんだけど」

 震災を忘れてほしくはないけれど、絵を見た人には笑顔になってほしい…。木村さんはきょうも、自分の色と向き合っています。
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