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津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町の漁業者のために、横浜市瀬谷区の人たちが募金活動に取り組んで贈られた漁船があります。船の建造から5年。今も続く交流の様子を取材しました。

9月3日。大槌魚市場に停泊している定置網漁船を眺める、横浜市瀬谷区の住民の姿がありました。船の名前は「瀬谷丸」。5年前の2013年、瀬谷区の人たちが集めた募金を元に建造されました。大槌を訪れたのは支援に携わった30人余り。大槌を訪れるのも瀬谷丸を見るのも初めてという人がほとんどです。

(瀬谷区の住民)
「ある意味軽い気持ちでスタートしたものですから、今振り返ってみると感慨無量です」 「この船見てホントに良かったと思います。聞くだけだと、どんなのかなと思ってたんだけど、実際にモノを見てみると『あー良かった』と思いますよ」

(NPO法人瀬谷丸・露木晴雄さん)
「おはようございます!」

 大槌からはるか離れた横浜市瀬谷区の地で、支援の先頭に立ってきた露木晴雄さん(38)です。瀬谷区で板金業を営む露木さんは2011年、東日本大震災の直後炊き出しに訪れた大槌町で、船を流され悲しみに暮れる漁家の姿を目の当たりにし、この、船を贈るというプロジェクトを始めました。

(露木晴雄さん)
「あの当時のことを思い出すと仲間、瀬谷区民を中心に集められた募金で瀬谷丸、形あるものを支援できて、きょうの日を迎えて良かったなと強く感じています」
「三陸沖に瀬谷丸を」の呼びかけに、瀬谷区民から多くの募金が寄せられた

「瀬谷丸」が支える大槌の漁業


 募金がスタートしたのは震災翌年の2012年3月。地域の商店や病院など250カ所に募金箱が置かれました。露木さんたちの取り組みに多くの人たちが賛同し、わずか3ヵ月で3500万円余りの善意が寄せられました。
 この募金を元に国の補助金をあわせた1億8千万円をかけて、震災から2年半後の2013年9月、瀬谷丸が建造されました。

 あれから5年。瀬谷丸は大槌の水産業を支える大切な役割を担っています。

(漁家・小石道夫さん)
「この支援が無ければ大槌漁協で定置網はあり得なかった。瀬谷区の皆さんに支援してもらったからこそ、私の思うような船も出来ましたし、本当にありがたいと思っております」

 瀬谷区の人たちの支援は船だけに留まりませんでした。震災で販路が失われた魚介類や水産加工品の新たな販路を確保するために、現在では区内の7つの小学校で大槌で採れた海産物が給食に提供されています。

(男の子)
「サケの中も身がぎっしり詰まっていて美味しいです」

 また、地元のスーパーでも大槌町の特設コーナーを設けて海産物を販売するなど息の長い支援と交流が続けられています。
瀬谷区の人たちを、大槌の海の幸でもてなす「瀬谷丸」の乗組員

「復興」へ向けて、続く「心の交流」


 この日は瀬谷区の人たちを、瀬谷丸の乗組員が大槌に水揚げされた海の幸でもてなしました。
 
「かんぱーい」
 
(瀬谷区の住民)
「美味い!」「いろんな所で(募金を)やってましたから瀬谷で自分の出来る限りのことやりました。協力もします。楽しみですよ。なかなかこういう所に来られないし、美味しいものも食べられるし」

 津波の被害から復旧した養殖施設で育てた自慢のホタテを焼くのは、震災の直後、露木さんに「働きたくても船が無い」と訴えた漁師の佐藤正さんです。
 
(佐藤さん)
「注文受けたものしゃーないべ(笑)」

 瀬谷丸が大槌に届けられて5年。佐藤さんたち大槌の漁業者と瀬谷区の人たちとの間には大きな絆ができています。

「お子さんがディズニーランドに行きたいって言ってたの。だから、『宿気にしなくていいからうちに泊まれば』って、今も言ったの。おいでって言ってんのに来ないのこの人(笑)」
 
(交流を続ける漁家)
「去年も来たかな、一昨年かな?たまにしか会えないけどいろいろお世話になっています」

(露木さん)
「瀬谷丸に乗る漁師さんがいないと相談があったんですけど、きょう久々にお会いしたら若手の方々が何名か増えてて、今後も瀬谷丸を通じて若手が戻ってきてもらうとか、そういったことを発信していかなきゃいけないのかなと思います」

(餅まき)「よいしょ!」

 東日本大震災から7年半。瀬谷丸がつないだ被災地・大槌町と横浜市瀬谷区の交流は、船が完成した後も続いています。復興と言う大きな大きな目標へと向かって。
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