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東日本大震災で1200人以上が犠牲となった岩手県大槌町。その中心部にあったJR大槌駅を津波が襲った時、駅の跨線橋にしがみつき一命を取り留めた男性がいます。まちの復興が進む中、この駅での体験を語り風化を防ぐ取り組みを続けています。あの時を経験したからこそ伝えたい「事実」です。

  6月29日。津波で流失したJR大槌駅の再建に向け安全祈願祭が行われました。来年3月には三陸鉄道への移管を控える交通の要です。

 2006年3月28日震災前の大槌駅の映像です。鮭が描かれた駅舎の南側には2つのホーム結ぶ跨線橋がありました。建物の2階より少し高い程度。しかし…。

(空撮リポート)
「大槌の街、全て津波に流されてしまいました。残されたいくつかの建物も、津波に覆われて茶色くなってしまっています」

 被災直後の大槌駅周辺です。ほとんどの建物は流されて姿がありません。辛うじて跨線橋の一部が残っているのが分かります。通路部分は流出、2つのホームにかかる階段のうち海側の階段だけが傾きながらも奇跡的に残りました。
津波で骨組みだけになった大槌駅の跨線橋

津波に遭遇 跨線橋に必死でしがみつく


 この跨線橋にしがみつき一命を取り留めた男性がいます。

(伊藤定夫さん)
「やっぱり、これだね。(はい)道路から見ると跨線橋ここだね。(ここ?)ここ」

 伊藤定夫さん(66)です。震災前は駅のすぐそばに自宅がありました。2011年3月11日、伊藤さんは買い物に出た山田町から車で帰る途中に地震にあいました。

(伊藤さん)
「よく車運転して大槌まで行きましたよね。多分、家に帰って物を取らなきゃいけないという気持ちが大きかったんじゃないかな」

 大きな揺れにパニック状態になったという伊藤さんは、消防が避難を呼びかける中、自宅へと車を走らせました。当時の行動を細かくメモに残しています。

(メモ)
「車を泊め家の中へ。仏壇、神棚から落下物有り。TVはよし。数分後、片付け中に大きな余震があり、ビックリして表に出たら、隣のお婆ちゃんも出てきた。話し中に海の方からすごい音が耳に入り、津波が50m先に。ブルトーザーのような黒い波。波の高さは木造3階以上の高さで10m以上」

 津波を見た伊藤さんは急いで海側のホームから跨線橋に駆け上がりました。しかし、正面から津波は襲いかかりました。

(伊藤さん)
「こっちがわに(山側に?)山側に逃げた瞬間に、こっちからの水。全部おおわれるように。(跨線橋を?)窓も。(全部?)全部水」

 連絡橋の壁に叩きつけられた伊藤さんは、咄嗟に柱にしがみつき津波をやり過ごします。その後、水面の上だった跨線橋の屋根に必死で這い上がろうと試みます。

(伊藤さん)
「ここにもう一本あったんだね。木がね。登るときに(足をかけてですか?)折れましてね。一回落ちたんですね。ただ、手の方は放さなかったので」

 骨組みだけになった連絡橋の屋根に登った伊藤さん。取材で入手した写真にはその跨線橋が写っていました。
 
(伊藤さん)
「(駅はもう少しこっちですか?)そうだね、こっちだね。これ中央公民館だから。(あっそうかこれが中央公民館ですね?)そうですね。跨線橋はこの辺じゃないかな。これじゃないかな、これだね。この残物だね。この上ですね。(本当てっぺん?)てっぺん。てっぺんじゃなきゃ…」

 周囲の建物が流される中、奇跡的に残った跨線橋。屋根に上った伊藤さんの姿は分からないものの、津波でボロボロになりながらも何とか持ちこたえた姿が写っていました。この時、伊藤さんは津波と火災に襲われる大槌の街を目にします。

(伊藤さん)
「湖のような状況でしたね。一波目の波が。この辺一帯は押し流された家屋が火事で燃えていく状況がずっと向こうの車の方までね」

(メモ)
「その後、何度も津波が押し寄せ。津波との戦いが始まる。養殖だなの浮き球、青いカーテン」

 伊藤さんは津波で流されてきた養殖だなの浮き球、カーテン、衣類などで津波と寒さから身を守り、一夜を明かします。そして翌日、自衛隊のヘリに救助されました。

(伊藤さん)
「何が起きたか、分からないような状況でした。今現在、こうやって生きているからお話しできるようなことで」
自身の体験をもとに「避難行動の大切さ」を伝える伊藤定夫さん

津波の教訓を次世代へ語り継ぐ


 震災後、遠野市に生活の拠点を移した伊藤さん。半年ぶりに訪れた故郷の変わりように戸惑いを感じています。
 
(伊藤さん)
「(この辺りの家もなかった?)そうですね。私も大槌に来たの半年ぶりに来たわけですけども。まだ空間ばかりでね」

 来年3月には営業が再開される、新しい大槌駅。そこには伊藤さんの命を救った跨線橋はなく、津波の痕跡もありません。あの時、自宅に戻ったことで自分の身に起きた命がけの体験。今は子供達に適切な避難行動の大切さを伝える活動をしています。

(伊藤さん)
「今、考えてみれば本当にとんでもない行動をしていますよね。それがパニックじゃないかなと」
 
 復興へと新しいまちが姿を現す一方で、決して忘れてはならない津波の教訓。伊藤さんはそれを噛みしめながら一日一日をすごしています。次の世代に「語り継ぐ」大切さです。
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