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東日本大震災の発生から7年を機に始まった取り組みがあります。3月11日を「大切な人を想う日」にしようというものです。この取り組みが目指すことを、1人の遺族を通して考えます。

震災から7年が経った今年の3月11日。地元紙の岩手日報が、紙面である呼びかけをしました。毎年3月11日を「大切な人を想う日」にしよう。紙面やホームページで署名を募り、賛同した一人ひとりに、3月11日を特別な日として再認識してもらおうというキャンペーンです。

(佐々木一義さん)
「7年ですね。2011年の8月からだからね。早いもんだね」

 このキャンペーンに賛同した一人、陸前高田市高田町の仮設住宅に住む佐々木一義さん65歳です。
 東日本大震災の津波で、自宅を失った佐々木さん。仮設暮らしは8年目に入りましたが、本来ならこの間、隣りにいるはずだった最愛の人はもういません。

(佐々木さん)
「めんこいがすっぺ?」

―これはいつの写真ですか?

「2011年の1月1日…」

 妻の美和子さん、震災当時57歳。小学校時代からの同級生だった2人は、1980年に結婚。

(佐々木さん)
「片思いだったの。縁って不思議だよね。ラブレター3年くらい出したね。ことごとく断られたけど…一生守るから、といって結婚することになってね」

 夫婦は4人の子どもに恵まれ、笑顔が絶えない家庭を築いていました。しかしその日々もあの日を境に一変します。

(佐々木さん)
「これが彼女の最後の姿。自分にとっては。それが…宝物。ここの時は生きていたんだなと…」

 2011年3月11日、市内の蕎麦屋で働いていた美和子さんは、地震のあと自分の母親の様子を見に行って、津波に襲われたと見られています。

(佐々木さん)
「(美和子さんを)子どもたちと探しているときに、子どもたちに『日本一のお母さんだぞ』『自分の親を助けに行ったんだから誇れよ』と話をした。そういいながらも悲しくてね…」

 2011年3月11日。佐々木さんにとっては大切な人を失った日であり、大切な人を想う日でもあります。

(佐々木さん)
「いっしょにいるって気はするね。どこに行っても」
紙面などでの呼びかけに賛同し、署名に協力した人は6千人を超えた

3月11日を「特別な日」に


(岩手日報社企画推進部・柏山弦部長)
「思っている以上に県内の企業団体の皆さんは、震災のことや我々の企画の趣旨に共感してくださっているなと思っています」

 キャンペーンの事務局となっている、岩手日報社企画推進部の柏山弦部長は、「風化」を少しでも防ぐことが、この取り組みの狙いだと語ります。

(柏山部長)
「3月11日が被災した人、復興の活動に従事し続けている人、そういう人たちだけでなくて、全ての人たちに関係するもの、そういうことが結果的に、被災地に寄り添っていくことにつながるのではないかと思い、呼びかけをさせていただいている」


(岩手日報社キャンペーンCM)

「もしもし、おかあさん? しばらく」
「あれから7年たつなぁ。何やってる?」
「まだ仮設にいるぜや」


 佐々木さんが登場する、キャンペーンのテレビCMです。
 ある日、夢の中に出てきた美和子さんと会話をするこの動画は、インターネット上で瞬く間に話題となり、署名への協力や広告への協賛は全国に広がりました。今月11日の時点で、署名に協力した人は6000人を超えました。

(柏山部長)
「今後、3月11日を知らない世代が増えていった時に、名前としてこの日はどういう日なんだと残っていって、それをきっかけに改めて、東日本大震災について学んで、伝えていくということにつながっていてほしいと思っています」
署名が「大きな波紋になり広がってほしい」と語る佐々木一義さん

「被災地、被災者のことを思い続けてほしい」


 佐々木さんも署名をきっかけに被災地、被災者のことを思い続けてほしいと願います。

(佐々木さん)
「6000人っていいましたよね。1つの石が波紋を広げれば、もっと大きな波紋になるだろうし。世界が幸せになってもらいたいしね。自分だけがよければいいというのはないからね。そういったものを作っていかないと。そんな波紋になればいいかなと思います」


(岩手日報社キャンペーンCM)

2年前、亡き妻と夢で会えた。

「あん時は生きてたと思ったのにな あの感覚」
「死んだのは嘘だ 生きてたって思ってな」
「だけど夢だった」

3月11日を、
いまあなたのそばにいる
大切な人を想う日に。
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