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シリーズ震災7年・被災地は今です。東日本大震災では地域住民と福祉行政をつなぐ「民生委員」が避難の呼びかけにあたったケースも多くありました。「声をかけたお年寄りを救えなかった」と今も悔やむ釜石市の民生委員の女性に話を聞きました。釜石駐在・木下義則記者の報告です。<映像には釜石市鵜住居町を襲った津波の映像が含まれますので、ストレスを感じる方はご視聴を控えてください>
 
(民生委員・小野寺喜代子さん)「モノがひっくり返って棚からモノが落ちて立っていられないようだった。初めてあんな地震。(津波)ハザードマップは私が見たときはこの辺は水色になっていたそれを思い出してこれは(津波が)来るって思って長男がいろんなものをひろっていたが止めなさいと言ってすぐ(避難した)」

 こう話すのは、釜石市鵜住居町で地域の民生委員を務める小野寺喜代子さん70歳です。大震災が起きたあの日、小野寺さんは地震がおさまるとすぐに自宅から歩いて5分ほどの津波避難場所に避難を始めました。

 (小野寺さん)「この古川さんって家があってここに玄関があってここに立っていたんです」

 玄関先に立っていたのはひとり暮らしの古川幸吉さん当時89歳でした。

 (小野寺さん)「立って川を見ていたんですよ。幸吉さんダメだよ津波来るから早く逃げようと言ったらいいから先に行ってろと言われてダメだ津波来るぜったい来るよ、この地震だものって言ったら家族来てからどこにいったべと探されるから先に行ってろ、後ついていくから先に行ってろ背中押すもんだから…」

 不安でしたが古川さんをその場に残し、小野寺さんは近所の人たちに避難を呼びかけ続けました。

 (小野寺さん)「若い女の子たちに、『私は民生委員やっていてこの辺の担当をしているんだけどぜったい津波来るから逃げなきゃダメだよ、ここはハザードマップも水色だし危ないよ』って何回も説得して、お年寄りがわーっと寄って来たら逃げる気になった、その時初めて」

 近所の人たちと連れ立って避難場所よりもさらに高い場所に逃げた直後、大津波がまちを襲いました。東日本大震災による鵜住居地区の死者、行方不明者は580人。釜石市全体のおよそ6割を占めます。

 (小野寺さん)「津波がずーっとこっちの方まで波のように押し寄せるようにこう流れてきてそこを見てました。わーっと皆で見てました」

 犠牲者には、地域の人々に避難を呼びかけていて津波に飲まれた民生委員4人が含まれています。県内全体では26人の民生委員が死亡または行方不明になりました。

 (仮設を訪問する小野寺さん)「引っ越した人もいっぱいいるし、同じ新川原地区の人もいるから。私が知ってる人たちもいっぱいいるから…。小野寺です。民生委員の小野寺です」

 民生委員は市民からの生活上の様々な相談を行政や社会福祉協議会などに橋渡しして問題の解決をサポートします。非常勤の地方公務員となりますが、ボランティア活動で、給与はありません。

 (相談する仮設の女性)「一番先お父さんが(津波に)流されてそれが原因でいまだになんぼかはいいけど…」
 
釜石市では現在130人あまりの民生委員が市民の悩みや相談に日々、耳を傾けています。小野寺さんは鵜住居地区で仮設住宅や災害公営住宅を含む280世帯ほどを担当しています。大震災から7年、地域では若い世代が減り、高齢化が急速に進んだことで認知症が疑われる人への対応など高齢者の健康に関する相談が増えています。

 (小野寺さん)「まわりの人から隣近所の人からおかしいよと言われてちょっと変だよと言われて訪問して。何でもないときもあるし変だなということもあるし…」
 
 あの日、小野寺さんが避難を呼びかけたものの連れて逃げることができなかった近所の古川幸吉さん89歳。津波に流され、ガレキの中から地域の人たちに助け出されて病院に運ばれましたが3日後に亡くなりました。

 (小野寺さん)「避難所にいてもどうしたかな、どうしたかなと思っていたんだけど病院に運ばれて二日目だか三日目に亡くなったと聞いて、がっくりきてね。あのときもう少し早く手を引っ張れば良かったと思ったけどね」

 亡くなった古川幸吉さんの長男、古川明良さんです。市内で特別養護老人ホームの施設長を務めています。父親に最後の最後まで声をかけてくれた小野寺さんや地域の人たちに感謝しています。

 (古川幸吉さんの子息・明良さん)「おやじの場合は流されはしたんですが地域の方々に助けられた。3日間生きてその後自分の主治医の病院のベッドの上で亡くなった。地域の方々にも助けてもらった。本当に感謝の思いがあります。小野寺さん含めて地域の方々に感謝しています」

 (小野寺さんが暮す災害公営住宅。玄関に掲げられた民生児童委員の看板)

 (小野寺さん)「ここに看板があるんです」

 津波で自宅が全壊した小野寺さんは2年前から、障害のある長男といっしょに災害公営住宅で暮らしています。「もしまた津波が来たら避難を呼びかけるか分からない」と話す小野寺さんですが災害への備えを怠ってはならないと感じています。

 (小野寺さん)「防災というものをぜったい忘れては駄目だと思うから防災士の資格をとった。自然災害っていつどこで何があるか分からないから、防災士として役に立たないかもわからないけど勉強だけはしてきたいと思って防災意識を高めてはいたいと思って」

 災害時の避難誘導は本来、民生委員の仕事ではありません。しかし地域の中で援けが必要な人のことを誰よりも知っています。小野寺さんはこれからもいざというときに民生委員としてできることを考えていくと心に誓っています。

 (仮設を訪ねる小野寺さん)「小野寺です。民生委員の小野寺ですが」

 県内で民生委員の犠牲者が最も多かったのが、陸前高田市の11人。このうち7人が安否確認や避難誘導をしていて、津波に飲まれたと推測されています。小野寺さんのように家を流されるなど自らも被災し、仮設住宅から受け持ちの地域に通いながら住民の相談に乗る民生委員も少なくありません。
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