IBC岩手放送

 
岩手県釜石市で、主役には決して「ならない」まちづくり集団が活躍しています。その名は「釜援隊(かまえんたい)」。復興の先を見据えた彼らの活動とはどのようなものなのでしょう。

(音)「よろしくお願いします」

 先月19日、釜石の中心商店街にある会議室に商店主や経営者たちの姿がありました。まちの賑わいを取り戻そうと5月の連休に開催する「音楽イベント」について話し合っています。

(音)「小さいのを青葉のステージに欲しいんですけど」

 話し合いに加わるひとりの若者、花坂康志さん28歳です。彼は商店街の人ではありません。彼が所属するのは、釜石リージョナルコーディネーター、通称「釜援隊」という組織です。

 釜援隊は、市が総務省の復興支援員制度を利用して2013年に立ち上げました。全国から集まった隊員は現在13人。その経歴は銀行員に新聞記者、デパ地下のマネージャーなど実に様々です。釜援隊にはいわゆる「地域おこし協力隊」と大きく異なる特徴があります。

(釜援隊プロデューサー・市オープンシティ推進室・石井重成室長)
「地域の住民なり企業なり団体が主体となって実現したいことを実現するサポートを各方面でやってきたというのは間違いなく成果だと思う」

 まちおこしに参加して行く行くは定住をというのが、一般的な地域おこし協力隊員の姿ですが、釜援隊のメンバーは自ら地域課題を掘り起し、地域の人たちが自分の力で暮らしを再建することの黒衣に徹します。活動は被災者の新たなコミュニティ作りや地場産業の振興など多方面にわたります。

(釜援隊・花坂康志さん)
「この商店街をちょっとずつ盛りあげていこうという気持ちのモチベーションからエリアマネージメントになると思っています」
「成長できると思いパッと動いた」と語る釜援隊の花坂康志さん

固定観念にとらわれず、ヒントを与えてくれる


(大町商店街振興組合・新里耕司会長)
「商店街がぜんぜん元気ないし、少しでも発信しなきゃとやり始めた」

 音楽イベントを企画した商店街の会長、新里耕司さんです。市は津波で被災した中心市街地に大型商業施設と市民ホールを中核とした集客施設を整備し、さらに災害公営住宅を集中的に配置することで人の流れを生み出す計画です。しかし人口の減少に歯止めがかからず、震災から6年で3つの商店街が解散しました。新里さんは釜援隊のサポートに期待しています。

(新里耕司会長)
「釜援隊が来ていちばんいいのは固定観念に囚われなくて他の地域のことを知っているからうちらがやろうとしていることにヒントを必ず与えてくれる」

 花坂さんは釜石市出身。震災発生時は大学4年生で新潟県にいました。その後大手シンクタンクに就職しシステム開発に携わっていましたが、入社した時から「30歳までに釜石に戻って復興の役に立ちたい」と考えていました。

(釜援隊・花坂康志さん)
「ここで食うことはお金の面は下がるけど成長という意味ではできるかなというイメージでパッと動いたって感じですかね」
多くの人で賑わった「音楽イベント」 商店街も盛り上がった

大切なのは「復興の先」を見据えたシステム作り


そして迎えたイベント当日。天気にも恵まれまちは多くの人で賑わいました。花坂さんは、自分がここで暮らすことより復興の先を見据えた地域発展のためのシステム作りが大切だと考えています。

(花坂さん)
「自分が抜けても歯車が回っていくみたいなのが復興支援に求められていると思います」

(ステージ上の新里会長)
「来年も続けるように頑張りますので皆さんも応援お願いします。きょうは本当にどうもありがとうございました」

 釜援隊の活動は国の制度が終了する2020年度までの見通しです。定住が目的ではない彼らはその後は次のステージへ自ら歩んで行くことになります。

(釜援隊プロデューサー・釜石市オープンシティ推進室・石井重成室長)
「個人のモチベーションと地域の課題解決というふたつのベクトルの交わるところを探すのが釜援隊の仕事の作り方なんです。そういう働き方、生き方はこれから普遍的になっていくし、その感性を持ってる人が来てるんです」

 被災地が直面する課題は将来、都市部も含めた全ての地域にも起こりうると言われます。釜援隊の活動はこれからの時代を生きる被災地の若い世代にも、ひとつの大きなヒントを与えているように感じました。
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