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IBC岩手放送

 
岩手県釜石市の震災語り部の女性が、津波で多くの児童が犠牲になった宮城県石巻市の旧大川小学校を訪ねました。中学生のとき自主的な避難で津波を逃れ「奇跡」と言われた自分たちと大川小学校での出来事。比べられることを嫌い、なかなか足を運べなかった場所で感じたこととは?

 7月15日宮城県石巻市の旧大川小学校の跡地を訪れたのは、釜石市で観光施設の管理やまちづくりに携わる会社の社員です。その中のひとり津波を伝承する施設「いのちをつなぐ未来館」で語り部を務める菊池のどかさんです。菊池さんは釜石東中学校の3年生だったとき東日本大震災が発生。地震が起きるとすぐに学校にいた生徒と隣接する鵜住居小学校の児童が自主的に避難して津波から逃れました。

 一方、この日訪れた大川小学校では、避難が遅れ児童と教職員あわせて84人が犠牲になりました。

(ガイドの佐藤敏郎さん)
「危機感をもった先生もいました。時間もありました。情報もありました。でも、それが判断と行動に繋がらなかったということなんです」

 ここで何が起きたのか…。菊池さんたちの前で語ったのは、当時6年生だった次女を津波で亡くした佐藤敏郎さんです。津波は北上川を遡り河口から3.7キロ離れた場所にあった大川小学校を襲い、避難を始めたばかりの子供たちと教職員を飲み込みました。地震発生からおよそ50分後のことでした。

(ガイドの佐藤敏郎さん)
「子どもたちがずーっと校庭で寒い中待って、山に走っていった子は戻れと戻されて、逃げよう先生って言った子は静かにしろって言われたんです。で、最後に立ち上がって向かった先から津波が来た」
「津波を目の前にして子供を抱きしめても絶対助けられない。絶対無理だ。遅すぎるという事実だからみんな後悔しています」
なかなか足を運べなかった旧大川小学校の跡地へ(宮城県石巻市)

「大川小学校」と比べられることに違和感と悲しみが…


 菊池さんは今、震災を多くの人に伝えることを仕事にしています。大川小学校のことを尋ねられることもあり「ここに来なければ」と思いながら足を運ぶ決心がつくまで9年の歳月がかかりました。それは震災後、自分たちの行動が「釜石の奇跡」と称され大川小学校で起きた悲劇と比べられてしまうことに大きな違和感と深い悲しみを抱いていたからです。

(釜石の語り部 菊池のどかさん)
「比較され続けてきたから行けなかった。自分たちが行ったら、やっぱりあちらのご遺族の方がざわざわ心が落ち着かなくなったりしてしまうかもしれない、なかなか行けなかった。どういうつもりで来たんだって思うかもしれない」

 「自分たちは奇跡なんかじゃないいくつもの偶然が重なってたまたま助かっただけ」「大川小学校と比べられて『奇跡』と言われることであのとき自分たちに足りなかったことが検証されなくなる」…。菊池さんはそう思い続けていました。

(菊池のどかさん)
「見直す部分も確実にあると思うし、逆に言うとあらためて見直してちゃんとアップデートして出来るようにしていけば、もっとたくさんの人が助かると思うし、そこは奇跡といわれると言いずらい言い出せない、ずっと無理してたというか困っていた」
釜石の語り部・菊池のどかさんとガイドの佐藤敏郎さん

互いの体験から得られた教訓を後世に伝える



ガイドを務める遺族の佐藤さんは、大切なことは「学校教育の現場で災害から命を守るにはどうすべきか」という本質的な議論を煮詰めていくことだと強調します。

(佐藤敏郎さん)
「釜石と比べるべき問題ではまったくないと思います」
「それを超えて、もっともっと一般化していかないとだめだと思います。今みたいな(比較の)話をすると、誰も思ってなくても結局犯人探しになってしまう。そこでストップするし違う議論になってしまいます」

 佐藤さんの考えを聞き菊池さんは、長い間胸につかえていたものが取れたような思いでいました。

(菊池のどかさん)
「比べるとか誰かを悪くするとか、そういう部分じゃなくて自分はただ人を助けたくてやってるし。でも、きょうはそれで間違っていなかったんだなと思いました」

(佐藤敏郎さん)
「こういう交流というか活動は、すごく大事だなと思っています」
「他人事じゃない伝承に繋がるような気がします」

 菊池さんはこれを機会に、大川小学校の遺族や津波を逃れた当時の児童とも交流を深め、互いの体験から得られた教訓を伝えていきたいと考えています。災害からすべての人が命を守ることができる未来が決して「奇跡ではない」と信じて。
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