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釜石艦砲射撃72年~母失った女性/岩手

 2017年08月09日 14:43 更新

 8月9日は72年前、岩手県釜石市が連合軍の艦隊によって2度目の艦砲射撃を受けた日です。艦砲射撃で母を失った釜石の女性がその悲しい出来事を初めて記録にまとめました。木下義則記者の報告です。
 (金澤君子さん)「これが空襲のときの爆弾だって」
 72年前の夏、釜石に撃ち込まれた砲弾の破片を手にする女性。釜石艦砲射撃の体験記を書いた金澤君子さん86歳です。金澤さんはこの日、友人とともに釜石市郷土資料館を訪れました。
(金澤さん)「これが爆弾の破片」(友人)「あら・・けっこう重いですね」
 東日本大震災の津波で自宅と経営する水産加工工場が被災した金澤さん。娘のある一言がきっかけで艦砲射撃を記録に残すことを初めて決意しました。
(金澤さん)「戦争と津波とどっちが怖かったという話だった。考えてみればこの子たちは戦争を知らないんだと思った」
 1945年7月14日と8月9日の2度にわたり釜石は連合軍艦隊による艦砲射撃に襲われました。製鉄所という軍需工場があった釜石はそこで働く人々も含めまちのすべてが攻撃目標になりました。金澤さんはこのとき14歳。女学校に通っていました。家はまちで食堂を営んでいました。父は大工、兄二人は戦争に駆り出され、店を切り盛りしていたのは母のタヨさんでした。1945年7月14日、一度目の艦砲射撃は昼に始まりました。学校に向かう途中だった金澤さんは難を逃れ、家に駆け戻ると父が泣きながら彼女を抱き寄せました。「母ちゃんが死んだ」ー。家の裏にあった防空壕は砲弾の直撃を受け、中にいた9人が亡くなりました。母・タヨさんの体は跡かたもなく、わずかに髪の毛と着ていた着物の一部だけが残っていました。
(金澤さん)「髪の毛が赤い人だった。色が白くてね。髪の毛をひろって箱に入れたと思う・・・父親がどういう思いで箱にいれたかと。それを時々考える」
 金澤さんは悲しい記憶とともにあの日見た太陽が忘れられないと話します。
(金澤さん)「すごく大きなお日様だった。ギラギラ光ってそれが記憶にある赤かったあんなお日様見たことない」
 深く刻まれた悲しみの記憶は「語ろう」と心に決めるまで72年の時を要しました。金澤さんの体験記を含む企画展「釜石と戦争」は、8月31日まで釜石市郷土資料館で開かれています。

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[2017/08/21 放送予定]

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