IBC岩手放送

 
東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた岩手県宮古市鍬ヶ崎地区では、復興に向けたまちづくりがほぼ完了しました。宮古の海の玄関口として歴史を重ねてきたまちはどう生まれ変わったのか。震災からこのまちを見つめ続けてきた記者の報告です。

  「熱気球発車」
 
   10月28日、宮古市鍬ヶ崎地区のまちを気球が飛びました。復興が進む様子を空から眺めようという、初めての取り組みです。
 
  (住民)
  「本当感動ですね。新しい鍬ヶ崎になって」「きれいです」「ぎりぎりまでガレキがあったから、それを思えば大分変った」「一歩一歩進んでいるのかな」
 
   宮古随一の港町として栄えた鍬ヶ崎地区。漁業関連の施設や商店が立ち並び、歓楽街も作られました。特にも1950年代、60年代にはサンマ漁の基地として、全国から漁船が集結し「宮古に鍬ヶ崎」ありと、大いに活気にあふれました。しかし…。
 
  (リポート)
  「津波をまともに受け、鍬ヶ崎地区の住宅地全体が被害を受けています。」
 
   東日本大震災で鍬ヶ崎地区では57人が亡くなり、1000棟以上の建物が被災しました。私の目の前で失われていったまち。途方もない喪失感に包まれました。2013年からは隣の光岸地地区と合わせた23.8ヘクタールで、土地区画整理事業が行われ、131億円を投じてまちづくりが行われています。
新しいまちのシンボル、ラウンドアバウト(環状交差点)

「大きく変わったまち」喜びの反面、不安も


 津波から6年半余り。工事は進み土地の引き渡しも、今年度中には終わる見込みです。まちは大きく変わりました。そのシンボルとなるのが県内で初めて設置された、環状交差点=ラウンドアバウトです。

(リポート)
「このラウンドアバウト、信号機が必要ないことから、停電の際でもスムーズな移動ができます。それともう1つ。新しい鍬ヶ崎の中心部をゆっくりと回ることで、まちの景色をみてほしい、滞在につなかってほしいという願いも込められています」

 ラウンドアバウトの周辺には消防の屯所や、公民館など公共施設も集約されました。そして海側から山側にかけて産業、商業、住宅と各エリアを設け、都市機能を向上させました。またこれまでなかった防潮堤も、10.4メートルの高さで、まちを取り囲む工事が進んでいます。宮古湾全体の津波対策に沿った形で、住民で組織された復興まちづくり検討会の意向が反映されました。
 10月末には行政の関係者、住民が参加して「まちびらき」と銘打った式典が行われました。

(山本正徳宮古市長)
「鍬ヶ崎・光岸地の復興なくして宮古市の復興なし」

これだけの人が集まったのは震災後、初めてと言う盛況ぶりで、まちの完成を祝った鍬ヶ崎地区。しかし喜びの反面、住民たちには不安もあります。

(住民)
「最高良かったけど、このままずっとなら良いけど、また静かになっては困る」「ほとんど年配の方ばかり」「昔の鍬ヶ崎が皆変わったから、これからどうなるのか」
多くの住民が集い、鍬ヶ崎地区の「まちびらき」を祝った

まちの姿が見えた「今」からが「スタート」


 鍬ヶ崎地区のまちづくりの課題は大きく2つあります。1つ目は人口の減少です。現在、市が地権者への調査を進めていますが、震災前1800人いた人口は、計画でも半分以下の730人に留まっています。
 そしてもう一つが、鍬ヶ崎ならではのまちの魅力をどう伝えるかです。津波を免れた急傾斜地には、風情ある街並みが残っており、これらの財産をどう生かすのかビジョンが必要です。
 この地で大正時代から続く日用品店を営む、古館昌三さん82歳です。自宅兼店舗は全壊しましたが、震災の年の6月に「鍬ヶ崎地区復興会議」を立ち上げ、まちづくりを話し合ってきました。まちの姿が見えた今だからこそ、未来に向けての議論が必要だと考えています。

(鍬ヶ崎地区復興会議・古館昌三会長)
「新しいまちと古いまちが、融合していくような対策が必要。新しくこれからがスタートです。私たちがどの程度、がんばるかが問われていると思う。やっていかなくてはならないということでは変わりない」

 宮古の象徴である鍬ヶ崎地区の復興。新たなまちに息を吹き込むのは、まさにこれからです。
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