IBC岩手放送

 
岩手県大槌町は、東日本大震災で多くの職員が犠牲となり、その後の復興にも影響が出ました。役場での被害はなぜ防ぐことができなかったのか。1年間にわたる再検証では「職員の避難への意識が薄れていた」と指摘されました。

(大槌町震災検証室・小山雄士室長)
「今後の防災に活かすことで、一生懸命取り組みましたけれど、防災は生きた住民のためでもありますが、その取り組みこそが犠牲になられた方のためでもある」

 今月7日、大槌町震災検証室の小山雄士室長は、1年間にわたる調査の結果を、平野公三町長に報告しました。大槌町は東日本大震災で、当時の町長と職員39人が津波の犠牲となり、行政機能の低下は復興にも大きな影響をおよぼしました。町は2014年にも災害の検証を行いましたが今回、役場の対応を中心に再検証が行われました。
町職員から聞き取り調査する大槌町の小山雄士震災検証室長

再検証で見えてきた職員の「避難への意識」


(去年8月25日に旧庁舎を訪れた小山室長)
「そこのふた窓みたいなのが図書室ですね。これでいうところの・・そうですね」

 大槌町の依頼で再検証を担当した、小山雄士さんは元県職員です。防災行政の経験が長く、東日本大震災の発生時は、県の総合防災室長として対応に当たりました。今回の検証の狙いは地震直後に、町役場がどのような対応を行ったかを調べ、問題点を明らかにすることです。

(小山室長)
「住民をどうやって災害から守るかという目線、終ぞ自分を守る目線が無くなる。その時はそういうことがあったのではないかと」

 退職者を含む町の職員80人から聞き取りをした結果、地震発生直後、大津波が迫りくる町役場にいた職員たちが、どのような意識だったのかが見えてきました。

(報告書)
「机やテーブルを出してその周辺で、災害対策活動をしていた状況からみても、当時の庁舎前にいた職員の多くは、津波に対する危険の認識は、あまりなかったものと思われる」「町の人は逃がさなきゃと思ったが、自分たちの避難という意識にはなっていない」

 当時、役場庁舎にいた職員は周辺の施設を含め44人。庁舎の外に机や椅子を並べ、公用車のラジオをつけて情報収集したり、潮位計の数値を読み上げたりしていたといいます。

(小山室長)
「津波のイメージも聞いていますが、浸水とじわじわ上がってくるといったような言い方がすごくあります。おそらく(防潮堤を)越えても、ゆっくり上がってくるだろうから、逃げられるだろうという印象ではなかったか」

(平野公三町長)
「その当時、私は助かったわけですけれども…」

 町の災害対応は総務課を中心に行うことになっていて、平野公三町長もその総務課の一人でした。

(平野町長)
「自分自身がしっかり防災の職務を全うして、総務課長や町長に具現なり、提言をしておけばこういうことにはならかったと強く思う」

 聞き取りに応じた80人のうち、6割あまりにあたる50人が、津波で危険な状況となることを考えなかったと答えました。報告書は過去の津波注意報・警報への対応や、津波避難訓練の際に長年、役場庁舎を本部にしていたことから、職員の避難の意識が薄れていたと指摘しています。
報告書はホームページで公開、住民への説明会も

癒えない「心の傷」、一方で「記憶の風化」も


 小山室長は1年にわたる聞き取りの中で、職員の苦しみも痛切に感じました。

(小山室長)
「6年という月日が経過しています。普段にこやかに笑って生活されている方々なんですが心の傷、辛さ、苦しさ、決してまだ癒えていないことを、まざまざと見ましたし思いました」

 避難の意識が足りなかったこと、犠牲が出てしまったことへの後悔。それはあの日、津波を経験した多くの人々に共通する思いではないでしょうか。一方で6年以上の時が経つ中で、大きな犠牲を出した町役場ですら、記憶の風化から逃れられない現実があります。

(平野町長)
「半分くらいの方々が、震災後の職員であることを考えれば、役場内における風化もあり得る中でもう一度、指摘された部分をどうやるか、考えていかなくてはならないと思います」

 町は防災体制の見直しと、それに関わる人材の育成を急ぎたいとしていますが、小さな自治体が膨大な復興事業を含む、普段の業務をこなしながら、それに取り組むのは簡単ではありません。報告書は支援の仕組みの必要性も指摘しています。

(小山室長)
「最初の立ち上げ、生みの苦しみはありますが、やはりそれは大きな犠牲を出した役場として、真摯な気持ちで取り組まなくてはいけない」

 今回の検証報告書は「適切に対応していれば、犠牲を防ぐことはできた」と結論づけています。町は報告書の内容を町民全体で共有するため、20日からホームページ上に公開するとともに、来月9日には住民説明会を開くことにしています。
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