IBC岩手放送

 
津波で被災し休館していた岩手県山田町の「鯨と海の科学館」が復旧工事を終え、15日から営業を再開します。震災から6年4か月。復活する山田町のシンボル「鯨と海の科学館」の魅力を紹介します。

(記者リポート)
「山田町船越地区です。あちらに見える白い建物が鯨と海の科学館です。その周りに整備されているのは今年復旧した船越公園です。津波によってこの一帯は山田湾と船越湾から津波が押し寄せ、壊滅的な被害を受けました。行方不明者の捜索が行われ、この場所はガレキの置き場や処理にも使われてきました。私も幾度となくこの現場を訪れ取材してきました。震災から6年余り、こうしてきれいになった景色を見ると本当に感慨深いものがあります」

 鯨と海の科学館は津波でおよそ8メートル浸水し施設は全壊しました。
全長17.6メートル マッコウクジラの骨格標本

世界最大級のクジラの骨格標本も復活


 鯨と海の科学館の湊敏館長です。再オープンを直前に控え施設を案内してもらいました。

(湊館長)
「震災直後から鯨館の再開を目指してきたので、最高ですね」

 復旧した鯨と海の科学館は鉄骨造り2階建てで延べ床面積はおよそ2000平方メールです。国の災害復旧事業などを活用し元の姿に戻しました。まずは科学館のシンボル、マッコウクジラの骨格標本です。

(湊館長)
「17.6メートルで正確な骨格標本としては世界最大級と言われています」

 そもそも山田町になぜ鯨をメインにした科学館が作られ震災からの復活を果たしたのか、それは鯨が山田町の水産業の歴史、そのものであったからです。
 これは1987年の映像です。戦後、山田町は大沢地区を中心に捕鯨の一大拠点として栄えました。捨てるものはないと言われる鯨。食用のほか、医薬品や化粧品にも利用されました。しかし1988年の商業捕鯨禁止によってその歴史に幕を下ろしました。
 このマッコウクジラの骨格標本は山田町を母港に三陸沖で捕獲されたものなのです。震災後は東京海洋大学などから専門家の協力のもと、補修や保存の作業を続けてきました。

(湊館長)
「これが鯨館のシンボルですから。(ようやく皆にもう1回見せられる時がきましたね)6年4か月、長いような、短いような」
「人間と海との共存を学べる施設に」と語る湊館長

「暮らしの再建」から「文化・観光の再建」へ


 再オープンに合わせて鯨と海の科学館では捕鯨に関わる資料の精査と収蔵庫の改修も復旧の柱と位置づけ行いました。科学館の魅力は鯨に留まりません。海に関わるコーナーも充実しています。

(記者リポート)
「こちらは山田町の海で獲れる魚介類を展示するコーナーです。震災前は写真でしたが、再開にあたっては剥製になりました。これによって立体的に観察することができます」
「開けていいですか?なんですか、これ?」
(湊館長)
「深海魚(の模型)です」「これホタテ河童なんです。海からの贈り物と言う話が山田にあって」(山田町では大漁の神として河童の伝説があるという)
 
 1992年に開館した鯨と海の科学館は観光と学びの場として歴史を重ねてきました。そして東日本大震災を経て海との関わりを次の世代につなぐ新たな役割も期待されています。

(湊館長)
「海のイメージが、子どもたちの心の中にすごい悪いイメージが残っているようだ、もう一度鯨館を通して海の素晴らしさとか、海の大切さ、人間と海との共存とか、そういったものを学べる施設にしていきたい」

 7月15日の再開初日は入館料が無料となるほか日本人と鯨のかかわりを紹介する企画展も行われます。

(記者リポート)
「山田町船越地区では鯨と海の科学館、公園と共に海水浴場もこの夏、震災後初めて海開きが行われます。震災から6年余りが経ち暮らしの再建から文化や観光といったまちの将来を見据えた復興が進められようとしています。是非、月日を経てステージが移り変わる被災地の実情も肌で感じて欲しいと思います」
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