IBC岩手放送

 
岩手県釜石市は震災犠牲者の追悼施設の建設を計画し、再来年の完成を目指しています。建設が計画されているのは多くの人が避難して亡くなった場所で、施設の内容や整備に向けた市の進め方に、ある遺族から疑問の声があがりました。

震災の津波で162人が犠牲になったと推測される、釜石市の鵜住居地区防災センターが建っていた場所です。防災センターは住民の避難訓練にも使われ、津波の指定避難所ではないにもかかわらず、多くの人が避難して亡くなりました。市はこの場所に震災犠牲者の追悼公園、「祈りのパーク」の建設を計画しています。
「祈りのパーク」のあり方を検討する委員会です。遺族を含む市民ら11人が議論を重ねてきました。4回目の会議のこの日、市が示したレイアウト案に、委員の1人から疑問の声があがりました。

(鵜住居地区防災センター被災者遺族の連絡会・三浦芳男会長)
「誰のために誰を追悼するのだという、基本理念が薄いのでは」

 声をあげたのは、鵜住居地区防災センターで亡くなった犠牲者の遺族らで作る連絡会の代表 三浦芳男さんです。センターで妻 郁子さんを亡くしました。三浦さんは市が示した追悼施設の計画案に、防災センターでの被害を示すものがなかったことに納得がいきませんでした。

(三浦さん)
「なんで追悼施設の中に、防災センターでの出来事を、まるで何もなかったような施設に作ろうとしている。そこは何としても許せない」
市の「追悼施設計画案」では犠牲者の芳名碑が「盛り土」に囲まれている

「防災センターの悲劇」は、釜石市に「重い責任」


 防災センターで起きた悲劇の原因を調査した第三者委員会は「防災センター」という名称が津波の避難場所という誤解を生んだことなどを指摘し、釜石市には「重い責任がある」とする検証報告をまとめました。
 津波の犠牲になった多くの人々を弔い、三浦さんたち遺された家族の相談にあたってきた、釜石市の僧侶芝崎惠應さんです。

(芝崎住職)
「市には重い責任があると指摘された。そういう場所ですから、その重い責任を果たすのであれば、果たしたいと考えるのであれば、亡くなった方々のご家族に、耳を傾けるべきではないのかな」

 今月12日、5回目の委員会が行われました。

(女性委員)
「多分、遺族の皆さんは外に出られれば、身の回りに、心の中に家族は生きていらっしゃる」
「実際(犠牲者の)親族としては、墓参りをしたり仏壇を拝んだり、いろいろと供養している」

 委員のほとんどが、防災センターの被害が示されていない市の計画案に賛成の意見を述べました。しかしそこで妻を亡くした三浦さんは、その案を「よし」とすることはできませんでした。

(三浦さん)
「あそこで亡くなった人たちは、1階でも2階でも、全部押し込められた形で亡くなりました。だからわざわざまた、押し込められるような形のところに何で造るの」

 市が大学教授やコンサルタントに依頼して、最終的にまとめた案は、犠牲者の名前を記す芳名碑が盛り土に囲まれていました。

(三浦さん)
「統一した意見で答申しなくてはならないわけではないと思う。(反対意見も)両論併記で」

 三浦さんは防災センター遺族としての意見を、答申に盛り込んでほしいと訴えました。しかし…。

(震災検証室・臼澤渉室長)
「次回委員会としてD案の修正としてまとめ、市長への答申とする」

 統一見解で答申をまとめたい考えの市は「施設は防災センターだけでなく、すべての震災犠牲者を追悼するためのもの」として、三浦さんの意見に難色を示しました。
「防災センターを忘れるような追悼施設にしたくない」と語る三浦芳男さん

遺族の思いを「直接伝えたい」


この日、三浦さんは思いを直接、市長に伝えたいと市役所を訪れました。

(三浦さん)
「俺がやらなければやる人がいない。ここまできたらやるしかない。最後までその思いだ」

 話し合いは2時間近くに及びましたが、納得できる答えは得られませんでした。

(三浦さん)
「このセンターのことを忘れさせられるような、そういう追悼施設にはしたくないとういうのが本音です」
追悼施設の建設が予定されている「鵜住居地区防災センター」跡地

市からの「答え」を待ち続ける遺族


 去年12月、釜石市の野田武則市長は、追悼施設の完成が2年遅れると発表しました。およそ4億円の整備費用の75パーセントを負担する国との間で「施設の規模や内容の検討に時間を要したため」というのが遅れの理由でした。
 施設は当初、「七回忌」となる今年3月11日の完成が見込まれていました。完成が遅れることがはっきり示されたことで、遺族からは落胆の声があがりました。

(芝崎住職)
「先に形を作ることが先行してしまっている。果たしてそれで心を表すことができるのか」

 三浦さんたち遺族に寄り添い続ける僧侶の芝崎さんは、市の進め方に疑問の声を投げかけています。

(芝崎住職)
「足一本でもね、遺族のもとに帰ることができるなら、それに越したことはないです」

 今月14日、寺では鵜住居地区に面する大槌湾で去年10月に見つかった、身元不明の遺骨の葬儀がひっそりと行われました。震災発生から6年3ヵ月余り。防災センターでは避難したと思われる人のうち、30人の行方がいまだにわかっていません。

(三浦さん)
「私は(追悼施設の)一角を確保してもらって、そこに防災センターでの犠牲者の慰霊碑を建てたい。そう思っています」

 釜石市は「追悼施設の中に防災センターに関する、メモリアル的なものの設置を検討したい」としていますが、それがどういうものなのか。三浦さんはその答えを待ち続けています。
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