IBC岩手放送

 
三陸の沿岸に春を告げる漁として知られる「イサダ漁」。このイサダの付加価値を高めようと取り組む、若手研究者がいます。研究を続ける理由には、沿岸の復興を支援したいとの強い思いがありました。

 まだ夜も明けぬ午前2時。岩手県大船渡漁港から、イサダ漁に向かう漁船に乗り込む男性がいました。北上市にある岩手生物工学研究センターの研究員、山田秀俊さん36歳です。

(山田さん)
「イサダを原料に機能性素材を作るのに、現場でどういうふうに水揚されるのかを見に来た」

 山田さんの研究対象は「イサダ」。エビに似たオキアミの一種で、桜色が広がるその漁は、三陸に春を告げる漁として知られています。
 山田さんが勤める生物工学研究センターと岩手大学は2013年、イサダから肥満を抑える効果があるという成分「8―HEPE」を特定し翌年発表しました。山田さんはこの成分を、機能性食品や医薬品などに利用できないか研究を続けています。
 イサダは漁獲量と単価が安定せず、今年の岩手県内の漁獲量は6346トンと、去年の4分の3ほどに落ち込みました。逆に1キロあたりの単価は98・5円と、去年の3倍以上に上がりました。不安定な漁獲量と単価により、漁業者の収入も不安定になります。
 山田さんは成分の研究をイサダの付加価値につなげ、安定した需要と漁業者の収入を確保したいと考えています。イサダによる新たな事業を創ろうという、山田さんらのプロジェクトには、研究成果をもとに毎年のように国から予算がついています。しかしここまでの道のりは平坦ではありませんでした。

(山田さん)
「『8ーHEPE』を見つけて実用化に向けて取り組む中で、予算が切れてしまい研究が進められなくなった時期があった。がんばって続けていく意欲が薄れた時期もあった」
旧大船渡魚市場で震災時の様子を語る山田秀俊さん

研究を支えているのは「復興への強い思い」


 研究が行き詰まったこともあった山田さんを支えてきたのは、復興への強い思いでした。花巻市出身の山田さんは元々医学の研究者で、2009年、東北大学から故郷の岩手生物工学研究センターに転職しました。転職後、命じられたのがイサダの研究でした。そして2011年3月、山田さんが大船渡市魚市場を会場にイサダの研究発表をしているときに、東日本大震災が起きました。

(山田さん)
「(地震があった時)大きなヒーターがあった。それが右に左に大きく動いたので、それを足で抑えた」

 会場にいた人から、すぐに大船渡を離れるように言われ、山田さんは津波を免れて北上に戻りました。震災発生後、がれきの撤去や被災地の子どもたちのために活動するボランティアに参加し、復興支援への思いも強くなりました。

(山田さん)
「(震災後)2年ぐらいはここに来られなかった。震災にあってそれを糧に、自分の研究が進んだ時に、ここにこようと思った」

 大船渡で冷凍食品製造の会社を営む濱田浩司さんは、イサダの活用に取り組む一人です。これまでイサダを使った煮干しやせんべいを作ってきました。山田さんと出会ってからは6年以上、イサダの製品利用に向けて一緒に取り組んできました。

(濱田さん)
「(イサダを製品化することで)漁獲量をもっと増やすことができるとか、漁価を高く買うことができれば、漁業者は潤うし陸上で加工することで、従業員も増やすことができる。(山田さんはどんな人?)ストレートな人間。自分から直球投げるタイプ」
研究の一環でイサダ漁に同行 漁師とのコミュニケーションも

復興に向け、イサダへの思いは一層強く


 山田さんはこの日、地元の漁師とのコミュニケーションを図りながら、イサダがどのように獲れるか確かめようと漁に同行しました。イサダの研究をしていても、漁に同行するのはこの日が初めて。山田さんは船酔いに耐えながら、魚群探知機にイサダの反応が出るのをひたすら待ちました。
 そして5時間後…。この日初めての漁が始まりました。乗組員が協力して網を引き寄せていきます。その結果は…。イワシが2匹かかっただけで、残念ながらイサダは獲れませんでした。

(第三漁栄丸船頭・田中賢治さん)
「(イサダの)群れは薄いんだね。その日によって漁場もバラバラだし。(山田さんの研究は)ありがたい。形になれば私たちも助かる」

(山田さん)
「すごくいい経験でしたし楽しかった。(研究開発は)原料が安定的に手に入るかどうか重要なところなので、漁師さんや(漁業)組合の皆さんと連携しながらやっていきたい。(今回でイサダへの)思い入れは一層強くなりました」
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